商品を供給する側のメーカーにとっては、より一層消費者のニーズに応えていくことが必要である。小売であるなら客のニーズに対して「適切な商品を適切な場所で、適時に適量、適正価格で、提供すること」によりその成果を得ることができる。このために必要なのは、メーカーと小売が手を組むことである。生産から販売までにかかる時間を短縮すると共に欠品率がゼロを実現する体制、消費者ニーズの変化に即座に対応していくシステム。これをQRS体制と呼んだ。このシステムを成功させるにはどうしてもメーカーと小売とのパートナーシップを確立することが必要である。これには社内の業務改革からはじめていく必要があるだろう。さらに標準化された企業間のEDI(電子データ交換)システムの構築、また統一商品J1ド(日本のJANコード)の確立を図ることも必要となってくる。こうしたQRS体制が日本で出現するまでには、どんな背景があったのか。その一つは海外からの安い製品の流入による小売業の競争力の喪失、さらには新しい業態の出現に伴う既存小売の収益の悪化といった事情があった。
ユニクロは小売主導のSPAの代表的な企業であることに変りはない。柳井は日本流のSPAの先駆者である。ユニクロが独自に企画した商品を、中国の契約した縫製工場で製造し、三菱商事を経由して輸入。物流センター(関東−関西のニケ所)を経て店頭に並べる。いうまでもなく、この自社一貫コントロールシステムこそがユニクロの安さの秘密だったのである。まず中間流通コストの削減。そしてアイテムを絞り込んで大量生産と売切り低価格の実現。しかも工場から全部買い取り、在庫リスクを負う。そして生産分野まで踏込んでコントロールできる体制。このように日本にはこれまでなかったビジネスモデルを開発したのだから、まさにその意味では革新者なのだ。柳井は学卒後、宇部市で紳士服の専門店を営んでいた父親のすすめでイオン(旧ジャスコ)入社。全く面白くなく一年で退社し宇部に戻る。そして、父親の手伝いをしているうちに旧ジャスコと比べ効率の悪さに気づく。七人いた店員も一人以外辞めてしまったので、彼が社長兼小使い。仕入・販売・経理全部を自分でやるようになった。柳井はつねずれ「自分で選んで、自分で買う店にしたのがユニクロの原点」なのだ、と言ってきた。たしかにメーカーが小売価格を決める、そんな商売をしていたのではダメだと考え、自分で最初から作ることを考えた。
アメリカ人が、カジュアルな衣類を自然に身につけることができる理由は3つある。まず、身につけるべきカジュアルな場がたくさんある。大勢の人が、テニスやゴルフ、クルージング、フィッシング、射撃、スポーツ観戦を日常的に楽しむ。費用も安い。そのための目的別のウェアがたくさん用意されている。それも安い。日本で思いつくのは、せいぜいゴルフかテニスぐらいのものであろう。ふたつめは、アメリカ人は家の中でもカジュアルスタイルで、そのスタイルのまま車に乗って外出する。日本人はたいていの場合、家の中ではラフなスタイルで、外出のとき、もう一度着替える。和服の習慣を引きずっているためだ。何を着ていこうかと迷うのは、服に慣れていないためだ。最後は制服の習慣である。アメリカでは、幼稚園から大学まで自由なスタイルが許される。日本はほとんどが高校まで制服が強要される。服装術を覚えるのは若ければ若いほどよい。習熟すれば、クローゼットを開けた途端に、その日の服装が決まるようになる。